コラム vol.126「哲学カフェのおもしろさ」
哲学カフェをご存知ですか?
1990年代にフランスのパリで始まり、2000年代から日本で行われるようになった対話、話し合いのことです。
その場に集まった人々が、自分の体験や経験や自分の考えを、自分のことばで表現する。それをお互いに聴き合いながら「ともに考える」場です。
アメリカで生まれた「子どものための哲学」(philosophy for children,P4C)の流れとも混ざり合いながら、教育現場や地域のカフェで開催されたりと、ここ10数年で、日本中に大きく広がっています。
私は、ワールドカフェに関する活動を始めた11年前から、哲学カフェの存在は知っていましたが、「哲学」という言葉の印象からなんとなく難しく理屈っぽい話をするのではないかと感じてしまい、これまで参加せずじまいでした。
それでも、当時から比べると圧倒的に開催される場所や機会が増え、人からも「哲学カフェがおもしろいよ」という話を聞くことが多くなったため、今年は集中的にいくつかの場に参加してみました。
すると、自分が思っていたイメージとはまったく異なっていて、とてもおもしろさを感じました。
どういう点でおもしろいのかというと、主に次の2点です。
●じっくり聴き、じっくり考えられる
哲学カフェは、10数名で実施されることが多いようですが、場によっては70~80人で実施することもあるようです。
これは何度も体験してみてわかったのですが、それだけの人数の前で、そして多様な人がいるなかで発言しようと思うと、必然的にものすごく丁寧に他の人の発言を聴き、ものすごく考えて自分の意見を発言するようになります。
日常の中でそこまで真剣に人の話を聴き、そこまで深く考えて発言することがあるか?と考えると、なかなか思い浮かびません。
これはもちろん哲学カフェのテーマ自体が、答えがなく、日常でなかなか改めて考えることのないテーマであることとも関係していますが、忙しい社会人は、どうしても早く決めて、早く動くということをよしとしてしまうということがあるような気がします。
哲学カフェのようにあえてコミュニケーションのスピードを緩め、じっくりと自分の考えを深めていくような機会は、逆にとても贅沢で、いつもとは違った質の時間を過ごせるのではないかと思います。
さらに結果として、丁寧に人の話を聴く習慣が身につきますし、人の意見に左右されずに自分でしっかり本質を考えようとする機会にもなり、それがまた日常に、好影響をもたらすのではないかという気がしています。
●自分の想定に気づき、保留し、更新する機会になる
哲学カフェでは、発言する時間よりは、圧倒的に聴く時間が長くなります。
その「聴く時間」が、自分とは異なる「多くの視点を自分に取り込む」ための重要な時間になります。
前回のメルマガで、『ダイアローグ』の著者ボームが、「誰もが異なった想定や意見を持っているからこそ対話が必要だ」と述べているということを書きました。
この想定はその人にとっての判断基準のようなもの。
その想定にしたがって、日々いろいろな判断をしていくわけです。
それはほとんど無意識に行っているとも言えるでしょう。
ところが、哲学カフェの場でまったく異なる想定や意見に出会うことで、自分の無意識の判断に気づき、「自分はこんな想定を持っていたのだ」と自覚的になれるわけです。
自覚するからこそ保留ができ、保留するからこそ他者の視点を受け入れることができる。
結果として、自分の想定が更新され、世界の見え方が変わっていくのではないかと思います。
この「世界の見え方が変わること」こそ、哲学カフェ、というより対話そのものの醍醐味ではないでしょうか。
とはいえ、こんな風に言葉で言うのは簡単ですが、実際は自分と異なる意見を言われると、その他者を否定したくなったり、自分の意見をさらに主張したくなったりと、想定を保留するだけでも一苦労と感じることも多いのですが、、、(苦笑)
いずれにしても、ものは試し!と思った方はぜひ一度体験してみてください。
ネットで調べていただくといろいろなところで開催されていますし、DODでも、今後定期的に開催をしていく予定です(直近では12月と1月に実施予定です)。
●2019/12/21(土)10:00~12:00
哲学カフェ「時間」@麹町
https://world-cafe.net/event/post-124.html
●1/25(土)10:00~12:00
哲学カフェ「夢・ビジョン」@麹町
https://world-cafe.net/event/post-125.html
哲学の知識も、事前の準備も必要ありません。
休日のお出かけ前の2時間に、気軽に参加できるように設定しています。
ぜひ一度、遊びにいらしてください!
(DODパートナー 大前みどり )