コラムvol.130「対話を支える2本の力をどう養うか?」
「対話の場において大事なことは何でしょうか?」と問われたら、私は「よく聴くこと」と「問いかけること」と答えます。
もちろん、「相手を自分と同じように尊厳のある存在だと認める」とか、「自分の前提を保留する」などの心構えや態度も大事ですが、対話が成立する上ではやはり「よく聴くこと」と「問いかけること」が2つの柱になると考えています。
けれども、組織内部や地域の方々が集まる実際の対話の場で、「みなさん、今日はよく聴いて、お互いに問いかけあってくださいね」と言っただけで、参加する方がよく聴いて問いかけ合うようになるかといったら、もちろんそんなことはありません。
聴くためには聴く力が、問うためには問う力が必要で、それらは時間をかけて練習を繰り返しながら養う必要があると思っています。
私たちがいきなり料理ができるようになったり、泳げるようになったり、ゴルフができるようになったりしないのと同じことです。
ではどうしたら、聴く力や問う力が養われるのでしょうか?
ここ数年、自分にとってそれが大きなテーマでした。
そこでこの3年前、そのヒントを求めて哲学対話の場に参加しながら、自分でも実践を行ってきました。
哲学対話とは、「普段はあらためて考えない疑問」や「すぐには答えが見つからなそうな疑問」 について、対話をしながら思考を深めていく場です。一人ひとりが自分の経験や考えを自分のことばで表現し、それをお互いに聴き、問いかけ合いながらともに考えていきます。
誰も答えを知らないようなことがテーマになるので、自然とお互いの話をしっかり聴き合います。わからないことがあるとそれ以上考えられなくなるので、わからないことやもやもやすることを自然と問いかけるようになります。
誰もがすぐにそうなる、というわけではありませんが、哲学対話ではそういう聴き合い、問いかけ合いが起こるような場が多く、それらの場を経験することは、聴く力や問う力を高めることにつながるのではないかと考えています。
昨年からは、とある高校で年間を通して行われる「総合的な探究の時間」のお手伝いもしています。
高校1年生たちと一年間を通して哲学対話のように「問う」「聴く」「考える」のサイクルを回しているのですが、初めは話がすぐに終わってしまう生徒たちが、しっかりお互いの話を聴きながら問いを立て、探究できるようになっていく姿を、頼もしいなと思いながら見ています。
そんな哲学対話ですが、1980年代~1990年代にかけて、フランスやドイツ、ハワイなどの地域でそれぞれ始まりました。日本では2000年代に入ってから大阪大学の臨床哲学研究室が中心に実践されるようになり、今はオフライン・オンライン含め、全国に広がっています。
哲学対話にも、様々な流れがあって、様々なやり方があります。なかでも、1つのテーマの元で、参加者が自分たちで問いを立て、自らの経験に基づいて、問いに対する答えをゆっくり時間をかけて話し合って導き出す「ソクラティク・ダイアローグ」では、全員が理解できるまで先に進まないので、自然と「聴きあうこと」「問いかけ合うこと」が行われる設計になっており、それらの力を養うのに適しているのではないかと思っています。
8月、9月と実際にリアルの場で「ソクラティク・ダイアローグ」をやってみましたが、上手く使うことができれば、たしかに効果がありそうだと思いました。
どのように活かしていけるかまだ模索中ですが、さらにヒントを得るために、10月はオンラインで実施したいと考えています。
標準的なものでは2日半時間をかけるプロセスを、ぎゅっと凝縮して9時間、2日に分けておこないます。
この実験的な「ソクラティク・ダイアローグ」の場に興味のある方、以下であと数名程募集をしておりますので、どうぞご検討ください。
ソクラティク・ダイアローグ体験ワークショップ(オンライン開催)
(DODパートナー 大前みどり )