コラムvol.133「ビッグワード注意報」

2年くらい前、とある哲学対話の場に参加したときのことです。
その日のテーマは「よいママとは?」。
参加している人たちは全員初めて会う人で、年齢は20代~60代とばらけていました。

途中で、「よくないママってどんなママ?」という話になりました。
虐待をする、自分の価値観を押し付ける、なんでも怒る、口うるさい、など、よくないママのイメージについての発言がいくつも出てきました。
その流れで、ある方がこんな発言をしました。

「結局、全部、愛なんだよね~。ママがやることは、全部愛から来ているんだよ」

私は、その人が言わんとしていることはなんとなく伝わってきたものの、とっさに思いました。

(いや、全部愛なんだ!はさすがにでかすぎるでしょ)

その人のなかでどういう思考の流れがあって「結局」なのか。
その人のなかでどこからどこまでが「全部」なのか。
その人はどういう「つもり」で「愛」という言葉を使っているのか。
それはここにいる私や他の人と同じ意味やイメージの「愛」なのか。

瞬時にいろいろな疑問が浮かんできました。
ただ、こんな風に質問をするとさすがに嫌がらせみたいなので、ちょっと言い方を変えて訊ねてみました。

「その”全部愛から来ている”というのは、何かそう思う体験があったのですか?」

「ママたちは自分はダメなママだって悩んだりしているけれど、ママたちがやることってみんな子どものためによかれと思ってやっていることだから、根本にあるのは全部愛なんだよっていうと、みんな安心するのよね」

といった内容の返答が返ってきました。
その後、対話がどういう流れになったのか忘れてしまいましたが、そのときのことは今も強く印象に残っています。

「愛とは何か?」というのは、とんでもなく大きなテーマです。
挙げればきりがないほど、「愛」にはいろんな定義、解釈、意味があります。

「全部愛なんだ!」という表現は、だからたくさんの解釈の可能性を含んでいます。別の表現をすると、その人が本当に言いたかったことを周りがすっと受け取りにくいのです。

その言葉を使う背景を聞かないと、意味がわからない言葉というのはたくさんあります。いわゆる「ビッグワード」と言われる言葉です。
私自身も、以前から、自信満々に、なんの補足もなく、ビッグワードを使っていました。

バランス、つながり、対話、理念、フロー、喜び、楽しさ、やりがい、信じる、etc…
「ビッグワード」という言葉も、ビッグワードに入るかもしれません。

こういった言葉を使うのはなぜなのでしょうか。
おそらく、ある程度の経験や思考の筋道があってその言葉に辿り着いているし、本当にその言葉がぴったりしっくりくると思っているからです。なんなら「正解を見つけた」「真理を見つけた!」「これが最も本質的な考え方だ」くらいに思っていたこともあったかもしれません。とはいえ、根本は「さぼり、手抜き」のような気がしています。なぜかというと、一言で言いたいことを言える気がして、ラクだから。

だけど、周りの人は私ではありません。自分が思っていることを、周りの人はまったく思っていないかもしれないし、同じようなことをまったく違う言葉で表現するかもしれません。

この「全部愛なんだ!」という表現に引っかかった出来事があってから、私は「ビッグワードセンサー」を働かせるようになりました。自分がばくっとした表現を使ってしまったとしても、すぐに一段二段、くだいて別の言葉で言うように心がけるようになりました。こういう意味で言っていますということを補足すると、相手に受け取ってもらいやすくなるのです。そしてそれだけでなく、自分自身の言葉の解像度があがったように思っています。

あ、ここでいう「言葉の解像度」というのは、、、(これはまた次回以降に)

(DODパートナー 大前みどり )