Vol.88「想定外のときこそ」

先日、「オーセンティック・リーダーシップを探求するワークショップ」を開催しました。
12人の方が参加してくれ、いろいろな探求をしながら、無事に1日のワークショップが終了しました。

終了後、数名の方は帰られましたが、10名で懇親会に行くことになりました。
いつもは会場近くの居酒屋さんを利用しているので、そのお店に行くことになっていたのですが、向かっている途中で参加者のお一人が月島に住んでいるとのことで、急きょ隣駅の月島にもんじゃを食べに行くことになりました。

みんなで駅に向かい電車を待っていると、「あれ、〇〇さんがいない!」と、懇親会に参加すると言っていたうちの一人がいないことがわかりました。どこかではぐれてしまったのでしょうか。

あわてて、申し込みのときに伺っていた携帯番号に連絡しようとすると、「〇〇さん、今日携帯忘れたって言ってた!」と他の人が。
「これは、、、」と主催者として判断に迷う状況で、一人の人が「お店に電話します!」と言って急いでお店に確認をしてくれました。
該当するような人は来ていないと言われ、駅の改札で待っていればくるんじゃないかと、先発隊と待つ組の二手に分かれました。

もう一度お店に電話し、もしお店にそういった人が来たら、駅の改札で待っていますという伝言をお願いしようとすると、なんとそのタイミングではぐれてしまった人がちょうどそのお店に来て、無事に連絡をとることができました。
携帯のない時代には当たり前のようなことかもしれませんが、携帯になれきってしまった今ではなんともハラハラする出来事でした。

ちなみに私はそういうとき、「自分がはぐれたとしたらどういう行動をとるか?」と考えます。
懇親会会場と聞かされたお店に行って、そこで待っていてもみんながこなかった場合、そして携帯を持っていない場合、自分だったらしばらく待ってあきらめて帰るだろうなと考えました。だから逆に駅の改札にいれば会えるのではないかと。

一方で、すぐにお店に電話をした人は、普段、現場監督をしているとのことで、不測の事態の対応に慣れているのだそうです。どんどん先手先手で動いていました。そのおかげで感動的に(?)再会を果たし、みんなで乾杯をしてもんじゃを堪能することができました。

でも、あらためて考えてみると、日常ってこういうことの繰り返しなのではないかと思います。
事前に可能性を想定して打ち手を考えておくことも重要だし、いろいろな経験を積んでこそ咄嗟のときに的確な判断ができるのだろうけれど、それでも、すべてを想定しきることも、経験しきることもできません。

想定外の出来事のときこそ、本当の自分が顔をのぞかせるもので、自分のあり方を試されるものだなーとしみじみと思いました。
まさに、「オーセンティック・リーダーシップ」というワークショップのテーマと関連したアクティビティがワークショップ終了後にも続いているようでした。

オーセンティックとは、「本物の」「真正の」「信頼できる」という意味。
「想定していないことが起こったときにの行動」ほど、その人を雄弁に語るものはないかもしれません。

(DODパートナー:大前みどり)