コラム vol.123「『よかれ』や『つもり』の残念なすれ違い 」

先日参加していたある講座で起こったことです。

そのときは、グループの中で一人の人が話している内容を数人で聞いて、その後グループで思ったことについて話し合うということに取り組んでいました。
私は気が散りやすく、すぐにいろいろな思考が起こってくるので、ちゃんとその人の話に集中できるようメモを取りながら聴いていました。
そして話し合いの時間では、メモをした印象に残った発言に対して自分が感じたこと、さらにそこから「こんな風にも考えられるんではないか?」という自分の考えを発言しました。

その後、そのとき話をしていた人から、こんなことを言われました。
「すごく真剣な顔をしてメモを取り、その後の話し合いの時間にはそのメモを見ながら発言をしていたので、なんだか評価をされているような気になった。さらに自分の発言を取り上げ、そのあと正論を述べられて、どんどん落ち着かなかくなっていった」といった内容です。

これは少なからずショックでした。
ちゃんと話を聴こうとか、事実と自分の考えをわけて話そうなど、自分が「よかれ」と思ってやっていたことが、他者に対してかなり居心地の悪さを与えていたからです。
相手の立場になってみると、たしかにその日あったばかりのよく知らない人に、私がしたような態度をとられたら、上記のようなことを感じるのも無理はありません。
さらに考えてみると、そのとき私が集中していたのは「目の前の人」ではなく、「その人の話の内容」と「自分が何を言うか」でした。
「よかれ」と思っていたのは、「的確に聴いて、的確に発言できるように」という自分のためであって、目の前の人のための「よかれ」ではなかったのです。

この出来事は、あらためて自分に「何のために今これをしているのか?」を忘れないようにということと、目の前の人を尊重することの大切さを思い出させてくれました。

でもよくよく考えてみると、そういう「つもりのすれ違い」は日常のいたるところで起こっているのではないかと思います。

例えば、トイレットペーパーを三角に折るとか、
冷房が効いているお店から出るときすぐ後ろにも人がいたのでドアを開けっぱなしにして出たら、後ろの人がそのことに気づかず開けっぱなしのまま出ていっちゃったりとか、
後輩の負担を減らすためにいろいろ調べて送ったら、こと細かく言われてプレッシャーに感じたと言われたりとか、

自分が「よかれ」と思ってやったことが、逆に誰かに負担をかけてしまうようなことです。

日常の行動すべてについて「これをするのは何のため?」とか「これをすると相手からはどう見える?」と考えながら判断していくのは難しいですが、何か特定の行動や、特定の人に絞って、自分の行動を意識して観察していくことができれば、無意識に誰かに負担を強いることは減らしていけるような気がします。


よく会社で、部下の話を聴くときは、PC画面から顔をあげ、相手の顔を見て話しましょうとか、おへそを相手の方に向けて聴きましょうというようなことが言われます。
そういう形から入ることももちろん大切ですが、自分が「よかれ」と思ってやってしまっていることの中にこそ、自分では気づきにくい「つもりのすれ違い」行動が、隠されているのかもしれませんね。


そんな「よかれ」や「つもり」のすれ違いに気づくための1つの方法として、10月12日開催のワークショップでは「とことん、自分じゃない誰かになりきってみる」という体験をします。その体験を通して、自分自身を客観的にとらえられるようになり、自分を囲っている「見えない何か」に気づき、より広い視野、より多角的な視野で自分をとらえ直すというおもしろい体験ができると思います!

「こじらせ自己啓発への処方箋」1Dayワークショップ
【詳細】http://world-cafe.net/event/post-119.html



(DODパートナー 大前みどり )